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前回は1991年に米国で起こったセンセーショナルな「キンバリー事件」を紹介し、キンバリーさんのHIV感染は、歯科医師が故意に感染させたという当初の見方は誤りではないか、ということを述べました。

 

では、なぜ歯科医師と同じ遺伝子のHIVがキンバリーさんに感染したのか・・・。仮説の域を出ませんが、今回はまずはこのことについて話を進めていきたいと思います。

 

キンバリーさんに歯の治療をおこなったアーサー歯科医師(男性)が同性愛者であったことは判っています。そして、アーサー歯科医師は性行為を介してHIVに感染したであろうことはほぼ間違いありません。そして、ここからは噂になりますが、どうもアーサー歯科医師には複数のパートナーがいて、さらに相当奔放な性交渉の趣味があったのではないかと言われています。

 

ということは、アーサー歯科医師の性交渉の相手のひとりが、あるいは複数人が、性交渉の相手というだけでなく、アーサー歯科医師の患者でもあった可能性もないわけではないと考えられます。

 

もちろん、このような調査は当時の地方警察もしくはFBIによっておこなわれています。そしてアーサー歯科医師の性交渉の相手が、アーサー歯科医師の治療を受けていた、という証拠は出なかったそうです。

 

しかし、です。奔放な性生活を送っていたアーサー歯科医師の性交渉の相手が何人いたのかを正確に把握することは相当困難なはずです。恋人のように何度も逢引を重ねていた関係ならわかるでしょうが、一度だけの性交渉の相手となると、捜査に限界があると考えるべきでしょう。特に、いわゆる「ハッテンバ」で、お互いの名前も知らないような関係で、暗がりのなかただ一度の性交渉をもった、という関係では、相手がアーサー歯科医師と知らないで、性交渉を持っている可能性がでてきます。

 

「ハッテンバ」では、自分の本名や職業を言わないこともあります。というより、初めからは言わないのが普通でしょう。まして職業が歯科医師とくれば、それを隠そうとするのは当然です。

 

つまり、地方警察やFBIが把握できていないだけで、アーサー歯科医師と関係を持った男性が患者として、アーサー歯科医師の治療を受けていた可能性があるというわけです。そして、場合によっては、アーサー歯科医師も、この患者もお互いに性交渉を持った関係だということに気づいていないまま治療を施し治療を受けていた、ということだってないとは言えません。このような関係であれば捜査線に上がってこないのも無理もありません。

 

また、こういうことも考えられます。アーサー歯科医師と関係を持っていた男性がいたとして、アーサー歯科医師のクリニックが休診日の日に、アーサー歯科医師の治療を受けていた可能性です。アーサー歯科医師が、彼にとって「特別な人」を自分の歯科医院に呼んで治療を施した。お金を受け取らず無料で治療をおこなったこともあり、あえてカルテを書かなかった、ということもないとは言えません。

 

しかし、ここでひとつの疑問がでてきます。仮に、アーサー歯科医師と性的関係をもった男性がアーサー歯科医師の治療を受けていたとしても、歯科医院であれば当然器具の滅菌をおこなっているはずです。HIVはそれほど生命力が強いわけではありませんから、通常の滅菌をおこなっていれば、患者→医療器具→患者、というルートでの感染などあるはずがないではないか、という疑問です。

 

では、この疑問にお答えしましょう。たしかにHIVはB型肝炎ウイルス(HBV)などと比べると、感染力は非常に弱いと言えます。しかし、例えば歯牙を削るのに使うハンドピースや研磨器の奥にウイルスが侵入し、ある程度湿度があれば丸1日くらいは生き延びることは理論的にはありえます。もちろん適切な滅菌をしていればこのようなことは防げます。

 

問題は、本当に”適切な”滅菌ができていたかどうかです。前回私は、当時サラリーマンをしており、米国の歯学部の学者と共に仕事をしていた、と述べました。当時の私はある商社に努めており、歯科医療で用いる滅菌システムの販売促進に携わっていました。今でこそ、歯科医院でのトータルな滅菌処置は常識になっていますが、当時は、日本ではまだ煮沸消毒で済ませているところもあったくらいで、完全な滅菌ができていたとは言い難い状況でした。米国では日本よりは進んでいましたが、すべての歯科医院が21世紀におこなわれているのと同じレベルで滅菌がおこなわれていたかどうかは疑問です。実際、それらが不充分であったからこそ、米国で滅菌に関する商品やシステムが開発されたわけです。

 

私の仮説は、①アーサー歯科医師と関係をもったHIV陽性の男性患者がアーサー歯科医師のクリニックで治療を受けた、②その男性患者は捜査線上に上がってこなかった。場合によってはその患者もアーサー歯科医師も過去に性的接触をもったことに互いに気づいていなかった、③歯科医院での滅菌が不充分であった、というものです。

 

ここで、私の仮説を裏付ける・・・、とは言えませんが、歯科医院でのHIV感染が実は少なくないのではないかと考えたくなる「ある事実」を紹介したいと思います。それは、当時のアメリカでは、感染ルートがまったく不明のHIV感染が少なくなかった、ということです。

 

つまり、性交渉の経験が一度もなく(あっても特定の相手とだけでその相手はHIV陰性で)、薬物の針の使い回しなどの経験もなく、もちろん母子感染もありえないというHIV陽性者が少なからずいたのです。違法薬物のことは他人に言いたくありませんし、性交渉にしてもそれが特定の相手とのものでなければ隠したいものですから、「感染ルート不明のHIV感染」は、単に自分の過去を偽っているだけ、という場合もあるでしょう。しかし、例えばまだ中学生で、あきらかにリスク行為のないような感染者も当時のアメリカでは少なくなかったそうです。

 

話を現在に戻しましょう。前回紹介したように、米国オクラホマの歯科医院で治療を受けてHIVとC型肝炎ウイルスに感染した人が21世紀のこの時代に実際にいるわけです。そして2013年3月、保健当局はさらに感染者がいる可能性を考え7千人もの(元)患者に検査を呼びかけたのです。

 

さて、この院内感染が<極めて特殊な例>と言い切ることができるでしょうか。院内感染については楽観視をしてはいけません。医療先進国のアメリカで実際にこのようなことが起こっているわけです。ちなみに、アメリカでは、「2004年3月から2008年1月の間に、南ネヴァダの内視鏡センターで麻酔の注射をした人はHIVなどに院内感染した可能性がある」という発表が2008年2月にラスベガス当局によりおこなわれました。

 

日本ではどうでしょう。2007年12月に、神奈川県茅ヶ崎市のある病院で、心臓カテーテル検査を受けた患者5人が相次いでC型肝炎を発症したという事件が報道されています。医療器具の使い回しなど、医療者からみれば考えられないことなのですが、このように実際に現代の日本でもあるのが現実なのです。

 

格安のレーシック手術を手がけ、100人近い患者に院内感染で感染症を発症させた東京のG眼科のM医師が逮捕された事件はまだ記憶に新しいと思います。この事件では、角膜感染で視力を失った事例などが報道されましたが、具体的な病原体については発表されていません。このなかにHIV感染がなかったのかが気になります。(HIVが角膜や結膜から感染したとしてもすぐには症状がでませんから今後発覚するかもしれません)

 

私は、院内感染の恐怖をいたずらに煽りたくはありません。なぜならほとんどの医療機関では適切な滅菌がおこなわれており(あるいは使い捨てのものが使われており)、院内感染が、特にHIVに関しては、起こるとは思えないからです。

 

しかし、実際にオクラホマの事件や茅ヶ崎市の病院やG眼科のことを考えると、医療機関を受診し、何らかの施術を受ける度に、「院内感染、大丈夫ですよね」と尋ねざるを得ないかもしれません。尋ねたところで、事実に関係なく「大丈夫です」と言われるだけでしょうが・・・。